2007年7月8日日曜日

結いの田うじの参加のきっかけ、そして現在

私が結いの田うじに関わるきっかけとなったのは、杉本先生の巨椋池干拓事業のワークショップ参加が始まりであった。ワークショップ自体は、大学生は地域との繋がりを持ちにくいそんなイメージを払拭したかったのと私自身大学での人との繋がりが薄かったことによる、新しい人間関係の形成を求めた事がワークショップへの参加の始まりであった。最近忙しくてでられてないんですけど…。
ワークショップへの参加を重ねていくと自分の住んでいるこの地は江戸時代では陸でなく、昭和初期まで水没することも何度もあった事を知り私は、住んでいる町のことをまったく知らなかったことを痛感し、自分は人との繋がりを求めるあまり地域に目を向けることを忘れていたことに気づかされた。
2月のある時、杉本先生から「卒業生の米田さんという方が巨椋池でお米を作っているから内山君もどうだい。」そのような話を持ちかけてくださった。地域を知ることこそ人と繋がる第一歩とその時の私はそのように考えていた私は、「ぜひ参加させてください。」と参加を申し込み。結いの田うじ2007への関わりがこうして始まった。
しかし、いざミーティングに参加するとなると私は、見知らぬ人に正直心を閉ざした。あれだけつながりを求めていたはずの自分が、自分の心と閉ざしたのだ。しかし、そんな私に豪快な笑いで接してくれる佐原さんや佐原さんの暴走を止めてくれる和田さん、皆を上手くまとめてくれる米田さんと触れ合っていくにつれて自分をようやく解放していくことが出来た。
そんな自分を上手く出せるようになった5月の始めである。「内山君。結いの田うじのBlogを担当してくれませんか?」と頼まれた。その時まで、仕事がほとんどなかった私には、初仕事であり重役であった。確かに『お茶っ人』の更新は海外に出て更新が100%不可能な所に行った時以外は毎日更新しているが、自分で書くのも情けないが、自分の日記は正直つまらない。そんな私にそのような責務が勤まるのだろうか?はじめはそう思った。しかし、「信用してくれているから仕事を任されるのだろう。」そう感じた私は、その仕事を引き受け米についての話や結いの田の活動をBlogに書いている。
そんなこんなで、結いの田うじのメンバーと会って5ヶ月した先月の終わり頃だ。私が、大学の実習で東アフリカのエチオピアに行くことになった。ミーティングで「それでは内山。二週間ほどエチオピアに行ってきます。」と言うと佐原さん、中澤さん等私の事を心配してくれたり、激励してくれた。そして、出発当日私を向島の駅で結いの田うじのテーマソングで送り出してもくれた。
エチオピアから帰国し「待っている人もいない。電車でさびしく帰ろう。」と税関の扉をくぐった時だ。「あれ?Azちゃんに似た子がいる?」とすぐ隣を見ると佐原さんと中澤さんがいる。恥ずかしかったが、嬉しかった。本来一人で帰ることが絶対であったはずなのに結いの田うじの面子はそれを嬉しい限りに打ち破ってくれた。
結いの田うじの歌にこういう部分がある。「ただいま~私の大家族♪」宇治でも私には血の繋がりはなくても家族がいる。もし、あの2月の先生のあの誘いがなかったら私は、決して宇治を農業から見ようともせず、宇治との繋がりも中途半端で止めていたことだろう。宇治の結いの田うじの大家族のおかげで私は宇治をもっと知っていくことが出来るだろう。

3 件のコメント:

まあねっと さんのコメント...

なんか、泣けたよ~。
よかったなぁ、自転車さん。
なんかいい感じで。
宇治にはもっともっと素敵な人がいるから、これからもたくさんの人と出会ってね。
私はひたすらメイワクなおばちゃんにだけはならないように必死だ(笑)あぁ、無事に宇治にあなたを連れて帰れたからこそだわ。(^^)
すでに、とりあえず、自転車さんは私の親戚でアフリカ帰りってことになってるので、小学校から呼び出し来たらよろしくね。(^^)

匿名 さんのコメント...

まあねっとさんの親戚で アフリカ帰りの 自転車さん
お帰り
ブログ待ってたよ
そして 今日結いの田で会って
安心した
行く前と そんなに変わってなかったから
アフリカ原住民に 感化されていたら?
なんて

不耕起田んぼ さんのコメント...

まあねっとさんへ
親戚?家族です。

レオンさんへ
いきなり変わっていたら、それはそれで怖いですよ~(^^;)でも中身はちょっとづつ変わってきてる気がします。なんとなくですけど…