自転車今大変悩んでいます。
母が来るのは先刻紹介済みなんですが…自転車5日は朝までバイト(エチオピアに行っていたので交代は頼めない)ので草取りは9時に行くことになっちゃいます。本当はオープンキャンパスのお手伝いもあり早めに出なくてはいけないのですが、そこは何とか…
9時から母と草取りをすればいいのですが、それでは結いの田の皆さんと交流できませんし、何のために母が来るのかわかりません。
しかし、母だけ7時に行ってもらうのもボクの勝手すぎで結いの田の繋がりという部分でおかしいと思います。私は一体どうすればいいんでしょうか?
ご意見をいただけたらお願いします。
2007年7月30日月曜日
2007年7月28日土曜日
リーサルウエポン!!母???
結いの田うじの皆さん、こんにちは。結いの田ニュースの時間です。
8月5日の草取りを覚えていますでしょうか?自転車アルバイトと文教大学のオープンキャンパスの関係で出席できない状況です。しかぁーし!!それではいかん。そんなんでは結いの田うじの皆さんに申し訳が立たない。
そんな訳で、自転車の母を結いの田うじの草取りに動員(きちんと申し込んであります)。うちの母…なかなかの働き手ですよ。
仕事が終わっ自宅に戻ると自転車と父においしいご飯を作ってくれる。そんなビックなマザーなんです。
2007年7月27日金曜日
夜の巨椋池で虫の声を聞こうの会
そんな訳でしっかり企画して来ました。
夜の巨椋池で虫の声を聞こうの会
期日 8月6日または9日(ここは微妙)
時間 19時30分~20時30分まで
目的 ①夜の巨椋池に生息する生き物の声を聞く
②巨椋池に沈む夕日の観賞
集合場所 結いの田
こんな感じでいかがでしょうか?ご意見お願いします。
※これは決定ではありません
本日のおまけ~
2007年7月25日水曜日
2007年7月23日月曜日
2007年7月22日日曜日
第一回 草取り
本日、自転車バイト終わるとすぐに結いの田んぼの草取りに行って参りました。
とまぁ草取りをした後メインディッシュ…ジャンボタニシ取り。なぜジャンボタニシが田んぼにいるかといえば、無農薬で殺虫?してないからよって天然のいい田んぼ。 元々ジャンボタニシは、食用として外国から輸入されたものらしいが、何かの理由で食用?ではなくなり現在は田んぼの厄介者。 油で死滅するらしいが、無農薬…から少し意味が離れてしまうので使用は控えられていたが、このままだとジャンボタニシの養殖場になってしまうのは確実。
故に今回草取り終了後、第一回ジャンボタニシ除去大会が開催されました。
が…ジャンボ君…多い事多い事…ヤバいっす。 沢山取ったつもりでもまだまだいるね… ジャンボタニシを沢山捕獲し田んぼから上がろうとすると「バリッ!!」嫌な音した。見てみるとジャンボ君が潰れている。
ここで始めて気づいたのだが、田んぼで草と取っている時やジャンボ君捕獲作戦中沢山のジャンボ君を殺めている。 とまぁこんな風に書いたが二週間前も捕獲をしてジャンボ君の殻を割ってしまったことがあるその時知り合いRに「殺ジャンボタニシ鬼」と呼ばれた。微妙にその名前いやっす!!
その後参加者の皆さんと一緒にカカシを作りました。
とまぁ草取りをした後メインディッシュ…ジャンボタニシ取り。なぜジャンボタニシが田んぼにいるかといえば、無農薬で殺虫?してないからよって天然のいい田んぼ。 元々ジャンボタニシは、食用として外国から輸入されたものらしいが、何かの理由で食用?ではなくなり現在は田んぼの厄介者。 油で死滅するらしいが、無農薬…から少し意味が離れてしまうので使用は控えられていたが、このままだとジャンボタニシの養殖場になってしまうのは確実。
故に今回草取り終了後、第一回ジャンボタニシ除去大会が開催されました。
が…ジャンボ君…多い事多い事…ヤバいっす。 沢山取ったつもりでもまだまだいるね… ジャンボタニシを沢山捕獲し田んぼから上がろうとすると「バリッ!!」嫌な音した。見てみるとジャンボ君が潰れている。
ここで始めて気づいたのだが、田んぼで草と取っている時やジャンボ君捕獲作戦中沢山のジャンボ君を殺めている。 とまぁこんな風に書いたが二週間前も捕獲をしてジャンボ君の殻を割ってしまったことがあるその時知り合いRに「殺ジャンボタニシ鬼」と呼ばれた。微妙にその名前いやっす!!
その後参加者の皆さんと一緒にカカシを作りました。
2007年7月20日金曜日
2007年7月18日水曜日
2007年7月17日火曜日
夜の巨椋池で虫の声を聞こうの会(仮)
先日ブログに虫の声がすごいと書きましたが、今回それを結いの田の企画としてやる事になりました。言いだしっぺが企画しなきゃいけないという暗黙のルールがあるようなないような。まぁ企画の概要としては、
あまり遅いと帰宅に支障が出るんで8時00分くらいから9時00分まで巨椋池を散策。虫の声を聞くのはいかがでしょうか?京都の暑さを考えると梅雨が終わると急に暑くなるのでやるなら8月の始めがいいと思います。それで終わったら結いの畑のキュウリをほうばるなり、花火をするなり(できるところがあるなら)
こんな感じに考えています。
あまり遅いと帰宅に支障が出るんで8時00分くらいから9時00分まで巨椋池を散策。虫の声を聞くのはいかがでしょうか?京都の暑さを考えると梅雨が終わると急に暑くなるのでやるなら8月の始めがいいと思います。それで終わったら結いの畑のキュウリをほうばるなり、花火をするなり(できるところがあるなら)
こんな感じに考えています。
2007年7月16日月曜日
2007年7月13日金曜日
2007年7月12日木曜日
勝利の鍵はスポートドリンクです
22日結いの田うじの草取りがあります。長靴や帽子の準備は怠らずに!!そして、熱くなってきます。水分補給用の水筒をお忘れなく。汗をかくと水分だけでなく塩分も不足してきますので、中身はスポートドリンクがいいです。さぁ22日は張り切っていきましょう。
はるか海の向こうエチオピアの子供達。プラスチックの容器を太鼓としてダンスしています。
2007年7月11日水曜日
2007年7月10日火曜日
2007年7月9日月曜日
2007年7月8日日曜日
結いの田うじの参加のきっかけ、そして現在
私が結いの田うじに関わるきっかけとなったのは、杉本先生の巨椋池干拓事業のワークショップ参加が始まりであった。ワークショップ自体は、大学生は地域との繋がりを持ちにくいそんなイメージを払拭したかったのと私自身大学での人との繋がりが薄かったことによる、新しい人間関係の形成を求めた事がワークショップへの参加の始まりであった。最近忙しくてでられてないんですけど…。
ワークショップへの参加を重ねていくと自分の住んでいるこの地は江戸時代では陸でなく、昭和初期まで水没することも何度もあった事を知り私は、住んでいる町のことをまったく知らなかったことを痛感し、自分は人との繋がりを求めるあまり地域に目を向けることを忘れていたことに気づかされた。
2月のある時、杉本先生から「卒業生の米田さんという方が巨椋池でお米を作っているから内山君もどうだい。」そのような話を持ちかけてくださった。地域を知ることこそ人と繋がる第一歩とその時の私はそのように考えていた私は、「ぜひ参加させてください。」と参加を申し込み。結いの田うじ2007への関わりがこうして始まった。
しかし、いざミーティングに参加するとなると私は、見知らぬ人に正直心を閉ざした。あれだけつながりを求めていたはずの自分が、自分の心と閉ざしたのだ。しかし、そんな私に豪快な笑いで接してくれる佐原さんや佐原さんの暴走を止めてくれる和田さん、皆を上手くまとめてくれる米田さんと触れ合っていくにつれて自分をようやく解放していくことが出来た。
そんな自分を上手く出せるようになった5月の始めである。「内山君。結いの田うじのBlogを担当してくれませんか?」と頼まれた。その時まで、仕事がほとんどなかった私には、初仕事であり重役であった。確かに『お茶っ人』の更新は海外に出て更新が100%不可能な所に行った時以外は毎日更新しているが、自分で書くのも情けないが、自分の日記は正直つまらない。そんな私にそのような責務が勤まるのだろうか?はじめはそう思った。しかし、「信用してくれているから仕事を任されるのだろう。」そう感じた私は、その仕事を引き受け米についての話や結いの田の活動をBlogに書いている。
そんなこんなで、結いの田うじのメンバーと会って5ヶ月した先月の終わり頃だ。私が、大学の実習で東アフリカのエチオピアに行くことになった。ミーティングで「それでは内山。二週間ほどエチオピアに行ってきます。」と言うと佐原さん、中澤さん等私の事を心配してくれたり、激励してくれた。そして、出発当日私を向島の駅で結いの田うじのテーマソングで送り出してもくれた。
エチオピアから帰国し「待っている人もいない。電車でさびしく帰ろう。」と税関の扉をくぐった時だ。「あれ?Azちゃんに似た子がいる?」とすぐ隣を見ると佐原さんと中澤さんがいる。恥ずかしかったが、嬉しかった。本来一人で帰ることが絶対であったはずなのに結いの田うじの面子はそれを嬉しい限りに打ち破ってくれた。
結いの田うじの歌にこういう部分がある。「ただいま~私の大家族♪」宇治でも私には血の繋がりはなくても家族がいる。もし、あの2月の先生のあの誘いがなかったら私は、決して宇治を農業から見ようともせず、宇治との繋がりも中途半端で止めていたことだろう。宇治の結いの田うじの大家族のおかげで私は宇治をもっと知っていくことが出来るだろう。
ワークショップへの参加を重ねていくと自分の住んでいるこの地は江戸時代では陸でなく、昭和初期まで水没することも何度もあった事を知り私は、住んでいる町のことをまったく知らなかったことを痛感し、自分は人との繋がりを求めるあまり地域に目を向けることを忘れていたことに気づかされた。
2月のある時、杉本先生から「卒業生の米田さんという方が巨椋池でお米を作っているから内山君もどうだい。」そのような話を持ちかけてくださった。地域を知ることこそ人と繋がる第一歩とその時の私はそのように考えていた私は、「ぜひ参加させてください。」と参加を申し込み。結いの田うじ2007への関わりがこうして始まった。
しかし、いざミーティングに参加するとなると私は、見知らぬ人に正直心を閉ざした。あれだけつながりを求めていたはずの自分が、自分の心と閉ざしたのだ。しかし、そんな私に豪快な笑いで接してくれる佐原さんや佐原さんの暴走を止めてくれる和田さん、皆を上手くまとめてくれる米田さんと触れ合っていくにつれて自分をようやく解放していくことが出来た。
そんな自分を上手く出せるようになった5月の始めである。「内山君。結いの田うじのBlogを担当してくれませんか?」と頼まれた。その時まで、仕事がほとんどなかった私には、初仕事であり重役であった。確かに『お茶っ人』の更新は海外に出て更新が100%不可能な所に行った時以外は毎日更新しているが、自分で書くのも情けないが、自分の日記は正直つまらない。そんな私にそのような責務が勤まるのだろうか?はじめはそう思った。しかし、「信用してくれているから仕事を任されるのだろう。」そう感じた私は、その仕事を引き受け米についての話や結いの田の活動をBlogに書いている。
そんなこんなで、結いの田うじのメンバーと会って5ヶ月した先月の終わり頃だ。私が、大学の実習で東アフリカのエチオピアに行くことになった。ミーティングで「それでは内山。二週間ほどエチオピアに行ってきます。」と言うと佐原さん、中澤さん等私の事を心配してくれたり、激励してくれた。そして、出発当日私を向島の駅で結いの田うじのテーマソングで送り出してもくれた。
エチオピアから帰国し「待っている人もいない。電車でさびしく帰ろう。」と税関の扉をくぐった時だ。「あれ?Azちゃんに似た子がいる?」とすぐ隣を見ると佐原さんと中澤さんがいる。恥ずかしかったが、嬉しかった。本来一人で帰ることが絶対であったはずなのに結いの田うじの面子はそれを嬉しい限りに打ち破ってくれた。
結いの田うじの歌にこういう部分がある。「ただいま~私の大家族♪」宇治でも私には血の繋がりはなくても家族がいる。もし、あの2月の先生のあの誘いがなかったら私は、決して宇治を農業から見ようともせず、宇治との繋がりも中途半端で止めていたことだろう。宇治の結いの田うじの大家族のおかげで私は宇治をもっと知っていくことが出来るだろう。
2007年7月7日土曜日
アイルゥ~ビーバック自転車!!
ババン!!バッバッババン!!自転車昨日エチオピアから戻ってきました。結いの田うじの皆さんお元気でしょうか?自転車は帰ってきて米を食って感動しました。世の中こんな美味い物があったなんて…感無量です。とまぁ自転車の結いの田ブログ再開です!!
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